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18.過去と未来をつなぐ道 ~渋川・中山道を行く~
ゆっくり草津 街道物語(第18回)
 
賑わいは今も昔も
 買い物客であふれるエイスクエア。この場所に昔、競馬場があったことをご存知ですか。昭和6年(1931年)に開設された関西初の公営競馬場である草津競馬場です。一週およそ1km、2万人収容できるという競馬場では、多い日には12レース、10~15頭の馬が走りぬけました。詰めかける競馬ファンのため臨時列車が増発される人気だったとか。人気を博した草津競馬も戦争の激しさが増すにつれ寂れてしまい、昭和23年に幕を閉じます。残った跡地は綾羽工業草津工場、そして現在のエイスクエアと大きく様変わりしています。
 
 草津郵便局は元から渋川にあったのではなく、日本の近代郵便制度の創始者である前島密の片腕だった山内家(現在の草津3丁目)あたりにあったと言われています。郵便局の片隅には葉書の木「タラヨウ」が植えられています。タラヨウの葉の裏に文字を書いて送ることもできます。
 
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県立短大跡地 農業の移り変わりとともに
 郵便局から北へ、渋川小学校方面へと歩きます。大きくカーブする道の角に石碑を見つけました。昭和25年に草津の農業試験場ができたことや滋賀県立農業短期大学が開学したことが刻まれています。昭和31年には県立短期大学農業科となり、40年には農業総合展示会が開かれました。トラクターや耕運機など最新の農業機械の展示など、これからの農業技術への関心は高く「3日間で1万人の見物人」と当時の新聞記事は伝えます。
 
 農業の移り変わりとともに平成8年に閉校、40年の歴史に幕が閉じられました。目印だったポプラ並木・時計がはめ込まれた校舎やグラウンドの跡地はこれから住宅地へと変わります。この工事の際に行われた発掘調査では古墳時代の土師器・須惠器・溝の址が出土しました。中沢遺跡です。
 
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渋川・風景の記憶
 県立短大跡地から中山道に向かうためJRの線路の下をくぐります。このトンネルは以前、屈んで通らなければいけない低いレンガのアーチ型のものでした。今は天井も高く、クリーム色の明るい内壁で通行しやすくなりました。安全で便利になったトンネルを通りながらも、またひとつ趣のある風景がなくなった寂しさもどこか感じてしまいます。

 トンネルをくぐると中山道、すぐ横は中村畳店です。作業場の隣り、ギャラリー「灯心草舎」でちょっと休憩。灯心草は畳の材料となるイグサのことで、芯は和ローソクに使われます。昭和30年代の渋川での人々の暮らしぶりが描かれた「風景の記憶絵」が展示され、懐かしい日常の様子に思わず話が弾みます。
 
 灯心草舎から高架をくぐり中山道を草津駅に向かって歩くと、うっそうとした木々と石垣が続く伊砂砂神社に着きます。伊砂砂神社は5人の神々のうち3人の頭文字から神社の名前が付けられたといわれます。毎年9月13日の灯明祭には雨乞いのお礼として、夜に「渋川花踊り」が奉納されます。室町時代に始まった風流踊の流れをくむ太鼓踊りは音頭取り・太鼓打ち・踊り子などが口伝の歌を歌い、飛び上りながら境内を輪になって踊ります。
 
 境内の奥にある高い蔵には曳山が保存されています。木々が生い茂り、今となっては開かずの扉となってしまいましたが、大正8年の450年大祭では行列で曳山を引っ張った記録が残っています。誰かが寄進したのか、いつもは学校で見かける二宮金次郎の像を境内で見つけました。なぜ神社に?それは分かりませんが、ここにきたらぜひ探してみてください。神社の脇を流れる伊佐々川は渋川の人々の暮らしとつながりが深かった川です。昭和 年代までは渋川のあちらこちらで大きな水車が回り、米を搗いていた情景も今は昔です。
 
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気づいてください中山道
 さらに中山道を駅に向かって歩くと右手にお寺が見えてきます。光明寺です。渋川には以前4つのお寺があり、現在は行圓寺・仏乗寺・光明寺が残ります。鎌倉時代に創建された光明寺は渋川でも一番大きな寺で「渋川御坊」といわれました。親鸞聖人が都に上る際に立ち寄られたこと、蓮如上人がたびたび寄られ野洲・栗太 か寺のひとつとされた由緒があります。屋根瓦の曲線がなんとも美しい。
 
 少し線路に寄るように路地を中に入ると粟津提灯店があります。浅草の雷門の提灯もつくられたこともあるという技術や提灯の大きさには圧倒されるばかりです。今では作業の様子を見ることが少なくなった職人技がここ草津にもしっかり残っています。

 中山道に戻りましょう。この中山道、以前は道の真ん中が盛り上がったかまぼこ型で、雨が降ると水たまりがあちこちにできる「そろばん道路」でした。美しく舗装され、ずいぶんと歩きやすくなった今の道を注意深く見ると気づくことがあります。電柱が道路に飛び出していないのです。渋川に暮らす中山道沿いの住民が敷地内に電柱を入れることに協力した結果、今日の歩きやすい中山道となりました。
 
 さらに駅方面へ歩くと「いこいの広場」と名付けられたポケットパークに出ました。「やすらぎ」と名付けられた銅像のそばにはベンチ、渋川のシンボルのカメとサギの絵が描かれた陶板が小さな川の脇にあります。住民の地域に対する思いが伝わってくる場所です。
 また向いにそびえるマンションの1階には「サロン七助屋」があります。米や肥料などを扱っていたお店「七助屋」のしつらえを今に残すサロンに入ると当時の商店の様子がしのばれます。
 
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街の表情は変わっても…
 ここから草津駅のデッキに上がります。見渡せる風景はビルやマンションが目立ち、人が行き交う駅前のにぎやかな日常があります。デパートやマンションが建つ前の写真を見せてもらいました。国鉄のレールセンターがあった赤レンガの倉庫・何本も敷かれたレールなど蒸気機関車の汽笛の音が今にも聞こえそうな一枚です。
 
 中山道、そして渋川は時代とともに大きくまちの表情を変えました。姿を消した象徴的な建物や趣も多くあります。でも渋川の人たちと少し話すだけで古き良き時代の名残りが感じられるまちです。それは一人ひとりの中に残る情景なのですね。
自ら草津市に編入したこと、通行のために電柱を私有地に入れたこと、伝統が続く花踊りなど渋川らしさが垣間見える街道物語です。秋らしくさわやかな風が中山道を通り過ぎていきます。次回は草津駅から大路を歩きます。
 
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この物語で訪れた場所
 
      
      
      
 
 
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