ホーム
街道物語
ホーム >> 街道物語 >> ゆっくり草津 街道物語(第17回)
>> 街道物語目次へ
17.洪水と雨乞いと・・・水と生きた歴史 ~山寺・馬場~
ゆっくり草津 街道物語(第17回)
 
工業団地の隣りには
 いつのまにか川も見えなくなった山寺大橋と山寺小橋のたもとに洪水碑を見つけました。昭和28年9月の台風13号は3日間も雨が降り続き、草津川と美濃郷川を決壊させました。石碑はこの惨事と治水の重要性を今に伝えてくれています。

一路、山寺工業団地へと向かいます。日東電工(株)の向かいに小高い丘の「山の神公園」があります。雑木林に囲まれた公園の一角に手入れされたスペース、ここが山の神の祭場です。山仕事の無事と五穀豊穣・無病息災を願い、旧暦の1月7日には神酒・米・塩をお供えします。ご神木の松には、しめ縄がかけられ、根元には竹アミに載せた男神・女神がおられます。ふた股に分かれた木に顔が描かれた素朴な神々です。すぐ隣には工業団地。対照的なこのギャップが山寺町の住民たちが守り続ける伝統と山に対する信仰心の篤さを否応なく感じさせます。なんでも、この日は山に入ってはならないとか。畑仕事に来たおばあちゃん同士が地べたに座り込んでおしゃべりです。緑の田んぼが広がりのどかな五月の風景です。
 
*
 
境内に三つの社
 発願寺は南北朝時代、楽音寺の塔頭であった僧の正智が起こしたお寺で、江戸時代に名を発願寺とされました。本堂のへん額には「楽音山」とあり、金勝寺寺領牓示絵図には楽音寺が描かれています。
 発願寺から十二将神社までは歩いて行きます。みずみずしい青モミジの参道を登るとポッカリと開けた境内に三つのお社が建っています。本殿・弁財天社・祇園社から成る十二将神社は栗東市の小槻大社の飛び地境内です。本殿には薬師如来を守護する十二神将像がまつられています。出土した瓦から平安時代に創建された楽音寺がこの地にあったといわれ、元亀の兵火で焼失した跡にこの神社が建立されました。

 鳥居を出て周囲を眺めると丘が続いていることがわかります。これは北谷古墳群跡で全部で14基ありました。以前にこのコーナーで追分を紹介したとき、古墳の上に建つ野上神社がありましたね。あの追分古墳に次いで古いものと言われています。北谷古墳から出土した鏡などは安土城考古学博物館に保管されています。来た道を戻るように歩きます。竹林の向こうに見えるのは祥光寺。古く室町時代に創建された建物は焼けてしまいましたが江戸時代に黄檗宗祥光寺として建てられました。青地城の城主青地氏の菩提寺で、薬師堂にある薬師如来は草津市の文化財に指定されています。
 
*
 
雨が降るまで…祈る
 さて、ここから車で馬場町へ移動します。川を左手に見ながら、カーブにさしかかると久邇宮橋という石橋があります。栗東市にある皇族ゆかりの所有林が検分のために昭和17年に新しく造られたことからこの名前が付いたと言われます。橋のたもとには「右 田上ふどう道」「左 古んぜミち」「山寺村」「川下具さつ」と刻まれた山寺の道標が埋もれるようにあります。
 川沿いを走りながら馬場町のまち並みの外れにある八幡宮神社に到着です。うっそうとした木立ちの参道を境内へと進みます。応神天皇を祀った本殿・多度社・大将軍神社・福男社の4つの社があります。馬場の神様として昭和10年代まで「雨乞い」が行われていた記録が残っています。農家にとって干ばつは、これ以上ない苦しみです。雨が降ることを願って三重県の多度神社へ参り、いただいた「黒い御幣」を八幡宮神社までの長い道のりを、なんと休むことなく持ち帰り、雨が降るまで鉦・太鼓を鳴らし続けて祈願したといわれるから驚きです。このとき、打ち鳴らし続けた太鼓は今も境内の倉に保存されています。ひとたび大雨が降れば洪水や浸水で泣かされ続ける一方、干ばつとなれば雨乞いをしなければ生きていけなかったというこの地の宿命、自然の脅威と恵みを心の底から感じてきた馬場町なのです。今も毎年1月14日に城目・上垣外・中垣外・仕掛田の四つの組で左義長が行われており、馬場町の人々の信仰の篤さと愛着を伝えてくれる八幡宮神社でした。
 
*
 
幼稚園や学童保育の先がけ
 さらに車で願信寺へ向かいます。風が田植えを終えた水面を揺らしています。あぜ道のタンポポ、大らかなたたずまいの家々、草津市でもなつかしい里山の風景が、ここ馬場町には残っています。小高い丘の竹林に「奥村但馬守古城跡」と刻まれた石碑を見つけました。青地氏の家臣、奥村但馬守の屋敷があったと伝えられ、居城を移したため屋敷内の守護神は八幡宮神社に移され、村の人々が代々守ってこられました。
 馬場町を見渡せる高台に願信寺があります。室町時代に創建され、江戸時代に入り願信寺と称されました。「ようこそ、中の御本尊もご覧ください」と住職が扉を開けてくださいます。以前に馬場町に暮らすお年寄りから「農作業がまだ機械化がされていないころは、どの家でも田植えや稲刈りとなると家族総出です。忙しい大人たちに代わり、願信寺さんが今で言う幼稚園や学童保育のように子どもたちを集めて預かってくれていました」とのお話しを聞きました。「みんなのお寺」として村の人々に愛されてきたのですね。
 願信寺の近くに旧天領地制札場跡があります。馬場は江戸時代、幕府の直轄地でした。札場は幕府からの高札を掲示した場所で、いまは石組だけが残り往時をしのばせます。
 
*
 
ホタルが棲む里
 馬場橋までもどってきました。橋のたもと付近は初夏ともなると、伸ばした手の指先に触れそうなくらい近くにホタルが飛び交う幻想的な世界が広がります。ホタルであれ、里山であれ、誰もが心に染み入る日本人の原風景ですね。工業団地に隣接する山寺と馬場で、自然とともに人の営みが脈々と営まれてきたことを感じさせてくれるまち歩きができました。
 
*
 
この物語で訪れた場所
 
1.山の神公園 山仕事の無事と五穀豊穣・無病息災を願う祭場  2.発願寺 
3.十二将神社 薬師如来を守護する十二神将がまつられている  4.八幡宮神社 「雨乞い」の記録が残る
5.願信寺  6.旧天領制札場跡 今は石組だけが残る
 
 
>> 街道物語目次へ